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フィリピン沖海戦
第二次日米開戦後、日本帝国海軍の主力艦隊は東進した(アリューシャンとグアム*、その後にハワイ攻略)。 また、国内においては在日米軍基地を急襲し、一部の艦船・航空機以外を抑えた。後日、司令官が正式に降伏と恭順を示す。 だが、第7艦隊(太平洋艦隊)の大部分、つまり空母・第@@代大統領**を中心とする空母打撃群や多くの戦闘艦がフィリピン沖での訓練のために不在だった。 すぐさま反転し日本へ向かうとは思えなかったが、第5艦隊(紅海・アラビア海・ペルシャ湾)***と合流されたり、あるいは東進して主力艦隊の背後を襲うような事態は避けたかった。 かくして、残存する第3・第6艦隊による米第7艦隊への攻撃が決行された。これは対米戦争に一環というだけでなく、近隣のTW・C共に対して軍事的プレゼンスを示すためでもある。 艦船自体は急遽、組み入れた艦を含め30数隻であったが、空母はそのほとんどが主力艦隊に配属されているため、軽空母2隻のみだった。 そのため、空軍基地より多数の航空機を出して援護を行う。 ……結果、 日本帝国海軍は軽空母1を含む10数隻の大破、7隻の撃沈。 米第7艦隊はそれ以上の損害を被り、空母・第@@代大統領もかろうじて航行できる状態で、残存艦に守られながら西(インド洋方面)へ退却した。 *グアムには開戦前より多数の日本人が旅行していた(お、トム・クランシー?) **なんか明示しちゃいけない気がしたので……w (修復が可能なのは本国以外では日本だけ……) ***インドに妨害を要請し、受諾はされていた。