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ぴえんとぱおんの関係についての考察
「ぴえん」と「ぱおん」を結びつけるのは「ぴえんこえてぱおん」という言い回しである。「こえて(超えて)」と付くからには、ぱおんはぴえんより上位の表現であると言えよう。ぴえん=P、ぱおん=P’として数式に表すと 『P<P’』 が成り立つ。しかし、この二つの単語の関係はそれだけではない。 ぴえんこえてぱおんという一文において、ぴえんとぱおんは同じベクトルを持つ単語である。ぴえんの語源は泣き声の擬態語である「ぴえーん」である事から、ぴえんは嬉しい、または悲しい感情により泣いている事を示す単語だ。ぱおんの語源は「パオーン」という象の鳴き声とされるが、この文における意味合いは嬉しすぎる、または悲しすぎる事で泣いている事を示している。ぴえんの中でも特定の条件を満たし、より大きな感情を示すものがぱおんだとすると、これは部分集合の関係と言ってよいだろう。すなわち数式に表すと 『P\'⊂P』 が成り立つ。文面で言うならば、『ぱおんは(必ず)ぴえんであるが、ぴえんは(必ずしも)ぱおんではない』という事だ。他に分かりやすい類例として挙げるならば、『大雨は(必ず)雨であるが、雨は(必ずしも)大雨ではない』などというものと同じだ。ぱおんの方が表現が大きいため、集合にした際ついついぱおんを大きい集合と捉えたくなる感覚を覚える人がいるかもしれないが、論理的に考えればそれが成り立たない事が分かるだろう。 ぴえんとぱおんの関係については概ね理解していただけたと思う。その観点を持って、より考察を深めたいのはぱおんだ。ぱおんは象の鳴き声を表現しているのは前述の通りだが、ぴえんこえてぱおんという言い回しの誕生にあたってなぜこの単語が選ばれたのか。これは私の意見であるが、思うに大きい感情の表現として、大きい動物を挙げる事でイメージしやすくしたのではないだろうか。つまるところ、ぱおんの本質は象の鳴き声ではなく象そのものである。 ぱおんが象だとすると、以下の式が成り立つ。 『P’=ぱおん=象』 この式が成り立つならば、部分集合の式に当てはめると 『象⊂P』 となり、『象は(必ず)ぴえんであるが、ぴえんは(必ずしも)象ではない』となる。つまり象はぴえんの一部だ。確定。 ぴえんこえてぱおんという言葉に対しての考察から私が導き出したのは、象という生物がいついかなる時も「嬉しさまたは悲しさで泣いている」という概念に囚われた存在だという事だ。彼らは泣いているように見えない時も多いが、心の中では常に涙を流しているのだろう。 現在、私は次のステップとしてぴえんの感情が嬉しさと悲しさどちらにあるのかを具体的に示す方法を考えている。仮にぴえんを線分ABで表すならば、A=嬉しい、B=悲しいを代入し、線分AB上に点P\'(=象)を配置する事で、点P\'が線分AB上を移動することでどちらに偏った感情なのかを表せるのではないかと考えたが、どうやらこれは適切ではないようだ。点P\'が線分AB上から離れない以上、象がぴえんの中にある事は示せているものの、ABの全くの中間に点P\'が存在する場合の感情は果たしてぴえんと呼べるかどうか疑わしい。嬉しさと悲しさが全く拮抗しているならば、そこにぴえんを発生させるほどの感情の高まりはないのではないかと思える。従って、線分AB方式ではぴえんの感情がどこにあるのか表すのは困難だろう。 話が長くなってしまったが、今回はっきりした事をまとめると、 ●ぱおんはぴえんの上位表現である。 ●ぱおんはぴえんの集合の中に含まれる。 ●象はぴえんな生物である。 といったところだろう。ぴえんとぱおんについてはまだまだ考察の余地があるように思える。今後の研究において進展があればまた筆を執りたく思う。 「・・・との事ですが、象さん。いかがでしょう?」 「もうわけわかんないゾウ!僕たち象をよく分からない定義の中に押し込めるなんてあんまりだゾウ!」 「一言で言うとぴえんという事ですね。ありがとうございました」