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ウンダバー_飯テロコレクション チョコケーキにゃ
みんなチョコ子ケーキはすきかな? うんそうだね、僕も大好き♡ でもね、実はチョコケーキって深い歴史があるんです。 今をさかのぼることおよそ2100年前、暗殺や刺客の蛮習の残る アンタンバンガーネという土地での事、 当時の人類というのは消化器官が未発達で野生のカカオ豆やその他種子性植物の種子に含まれるデアジギノール酸やマンバオジギノールを分解できなかったため、それらは猛毒として忌避されてきました。現代で言う奴隷制度が発達し家柄を継ぎ貴族を名乗る王侯達の間でこの毒は暗殺用の毒薬として重宝される事となり実に多くの表には出せない歴史を闇に葬ってきたといわれています。この種子、主にカカオ(オククともいう)の種子に含まれるデアジギノール酸は種子4つ分で成人男性100人を殺傷する毒性を持ちその毒性と隠密性によって王族への刺客としても威力を発揮し有名な事例では大暴君アンギラ伯爵の暗殺に使用されその直後に首謀者であった主婦長ゴンゴンゴ(アングラハムともよばれた)の凄惨な公然自決により非常に危険な猛毒として世に知れ渡ることになります。そして100年間をかけ医師、アーチボルド・ナルオワキャダローネによって人類体質改善がはかられ世には出ない多くの犠牲のもと、現人類はデアジギノール毒性への耐性を得たのです。アーチボルドの没後、研究を引き継いだウンデラヘロエイスはギリシア近海に生息するヒトデの一種であるジュヴァッチオーシエナラドロップスタの異常なまでの耐毒性に着目しその生態をさかのぼりヒトデゲノムの解析とともに我々人類とヒトデのジェノムバイオグラフの根幹基点であるヘテロクリミアヒトゲノム細胞に99.8%の一致を発見しその研究の進展に多大なる貢献をしました。古くからの風習の残る伝統を重んじる村々ではいまだこの種子は猛毒としておそれられオッホサミュエル(重んじる扱いにて)チョコラ(実に少量にて) ラレ(実に多くの)オラレライトー(王族の位に至る殺傷・キングスキリング。またはキングキリングス)チョコララレオラレライトウと呼ばれ黒毒として忌避されています。 この名称は彼らの警鐘に相応する威嚇音として 戦士達はチョコラートチョコラートと叫ぶことで味方同士の連携をとっていたとされます。この毒を現代にいたるまで研究し食用品目としての安全性を確立したのがかの有名なアーマンドフォンブルボン伯爵とその妻メージ夫人でした。カカオ(現代でいうラクク)の種子、その毒性の最も強い部位である基幹胚複合体を加熱圧砕加工しフェノムからのメノンをアポキシドレーンに処し、そこに強力なデアジ系抗体をふんだんに含む砂糖を過半量加え種子1にたいし250の水でドリップした溶液を放散凝縮による発散性逆遡性澱化現象によるフェドール半固形ドレーン分子化を誘発し上澄み液に溜まるカラメルノードオレインおっぱい……おっぱいは……いいぞ……おっぱ…もみもみ に、に日本に伝来した当初は輸送時の環境による劣化で糖分が抜け保護用の動物性皮脂膜が溶けこみおよそ食料品として不十分な様相であったため当時の日本では着火剤として用いられ、オタンダの商船からは毎度毎度のごとく着火蘭炭(ちゃっか らんたん)という売り声が聞こえてきたといわれています。着火蘭炭を初めて食用として用いたのは現王帝御子息ホテルのオーナーであるカワイキヨシコでした。当初は着火剤を料理に用いられるものかと多くの非難をうけたといわれていますが加工前の材料を調理場で加工することで鮮度と本来の形質を保った食材として利用できる機構を仮作しこれに関心を得た各社メーカーによって度重なる研究がなされ、いよいよもって現代における甘いチョコレートの完成と成り至るので御座居申す。 おぱ とにかく、人類がチョコを克服するにいたる歴史は 死と犠牲の悲劇の繰り返しであったと言われています。 そしてそれらはたった2000年前まで繰り返されていたという事実 我々は体質を改善された新しい人類であるという事を 忘れてはなりまそん(かんだ) (大酉ジンポ・著 まんがでよくわかるチョコレートのひみつより)