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アヴェリンvsベーデン王アンリ
グリヴィエ王の死後、ヴィルアは先王である兄のリシャールの子、アランを王とした*。 諸侯より護国公*に選出されたアヴェリンは、義弟アンリの征伐の軍を発した。 1枚目:「リジューヌ、ウイブラムは先行せよ」 傭兵軍であったいわゆるアヴェリン軍の半数、ルロア大公領兵の半数、ヴィルア諸侯軍2万、さらにフロリアンの生家アルオノスや、イデュイアを中心としたアキシミナーの軍勢も参戦し、5万以上の大軍勢だった。 2枚目:「ヴィルア王国、アルソーム家の側はここに翻る!」 5枚目:「城都はすべて奪え。すべてアラン陛下に献ずる」 8枚目:アンリとの決戦。 13枚目:「俺がアンリ王子と一騎打ちなんて、できるわけないだろ」 いまでも”王子”と呼ぶアヴェリン 。 後ろの誰? *北方のロブリシュとの戦いでフレリック王は亡くなり、継いだリシャール王は独立してベーデン王を名乗ったアンリとの戦いに敗れ亡くなった。 その後を継いだグリヴィエ王子も、父の復讐にロブリシュに挑んだが敗死したのだった。 *グリヴィエの死後、家法を無視してフィリアンを女王に推戴しよという声もあった。また、アヴェリンも母方の(えらく遠回りな)血筋から 継承権があるという諸侯・廷臣がいた。 アヴェリンはそれらを断り、義兄リシャールの子アランを王にすることを提案し、それは受け入れらた。 諸侯らはアヴェリンに宰相・宮宰となることを求めたが、彼はそれを誇示した。 「もしわたしが専横をすれば、誰が止められるだろうか?」 かくして、軍事を統括する護国公という称号が与えられた。 *同盟に背いたソレイアを誅伐するためにアンリ率いた軍にアヴェリン軍も主力として加わっていた。ヴェイルアからの離反を諭したベーデン王国を攻めることにも積極的に参加していた。という負い目がある。 ※お家を執っする立場だからいいのだ